友人にとても頭が良く社交的で動作性IQも高い人間がいる。
出会った時は少しぽっちゃりしていて、遅刻が多く一人でよく遊びに行っている人というイメージだったが2年ほどで急にダイエットし転職し、更にはスポーツの大会で上位入賞や優勝するなどの輝かしい功績を納め始めた。自分の居場所を見つけたのか、心動かされる出来事があったのかは分からないが、ただただ凄い変化である。
そんな彼女が出会って間もないころ「バカのフリをして生きるのは疲れる」と漏らしたことがあった。当時私はその言葉の意味があまり理解できずに、何か家庭で嫌な事でもあったんだろうかくらいに受け取っていた。
だが輝かしい功績を残して褒められる時に彼女がしきりに「すごくないよ」「普通の人だよ」と言っているのを見て気が付いた。
これは彼女の処世術だ。
頭が悪いよりは頭がいい方が良い、頭が良ければすべてうまく行くと思っている人の方が世の中には多いのかもしれない。だが世の中のIQ分布を考えても賢い人間は「同じ考えの人間が少ない」という境遇に常に晒されている。
通常友人というものは「同じような境遇にいる人」や「自分より凄い人についていく」という構図によって成り立っている。しかし同じような境遇にいる人が少ない場合、大衆になじむためには自身の功績を上げるという選択肢しかない。
これは考えてみればかなり残酷な事で、彼女は受け入れられる為に持って生まれたギフトをこの先一生うまく隠して生きていく選択をした。
もう収入が無くても生きていけるくらい資産を持って世の中にご意見をしまくれるおじさんインフルエンサーの様になるまで、ひたすら隠し続けなければならない。自分の意見は言わずただ功績を上げ続けなければならない。
大衆の意見は自分一人の意思では変わることは無く、共感者の母数が増えるわけでもない事を彼女は恐らく理解している。その中でうまくやっていく方法を見つけた。しかしそれは途方もなく素晴らしくて残酷で功績をあげるたびに手のひらに綺麗ごとという宝石が溜まっていくような感覚。
その硬い塊を臆することなく飲み込み続けた先にしか得られないもの。
頭のいい人が功績をあげると言うのは真理だけど真理ではなくて、頭がいい人が大衆に認められるためには功績をあげるしかないのかもしれない。
何も知らない人から「対して頭が良くないくせに偉そうに」と言われないためにみんなに好かれるために残りの人生全てを馬鹿のフリをして生きろなんてあまりにも残酷だ。もしくは友人を作らないという選択肢もあるが建設的とは言えない。
自身を冷静に分析する事すら、見えないものには驕りなのだ。
これがみんなが喉から手が出るほど欲しがっているギフトの正体だ。
世の中の人間が欲しがっているものの正体について大声で叫びたい気分になった。しかし同時に得たものの大きさに感謝して、少しだけでも敵を作らない努力をしようと思った。